第四回;琉球弧の農耕暦と年中行事/南島の夏正月①徳之島の浜下りと夏目踊り
- 2014/10/08
- 12:00
奄美シマウタ研究会 プログラム アーカイヴ
2014.10.08 第II 部儀礼・行事・祝い「折り目儀礼(節行事)と八月踊り(1)」
第4回琉球弧の農耕暦と年中行事/南島の夏正月①徳之島の浜下りと夏目踊り
1.「夏正月」とは;徳之島町井之川集落に伝わる呼称。
・南島(琉球弧)の季節感は元来夏冬2期で、「春」「秋」という民俗呼称はない。ウリズン(若夏)、アキ(刈り入れ)という用語はある。
・「シマには冬正月と夏正月、二つの正月がある。冬正月は1月の、暦による正月だが、夏正月は旧暦7月、水稲の収穫後の”浜下(ハマウ)り”という夏の折り目祭りの別称だ。水稲耕作の栽培周期による1年の刻みが定着していたところに暦が入ってきたために、両者は混在することになった」(松山光秀)
・季節の転換;夏から冬へ。♪惜しい七月が過ぎて、新しく冬になるのが辛い/恋人の歳、私の歳が寄るのが辛い、とうたわれ、「夏正月」に数えで歳をとった。浜下りがすむと新たに北風(ミーニシ)が吹いてきて朝晩涼しく、季節の転換が実感される。
・行事の内容は、祖霊・死霊を迎え収穫感謝/生命の若返り、衣装の新調/新しい年の農耕予祝など、日本本土の正月と同等の意味を持つ。
・本苗(フンナイ・在来種の餅米)の栽培暦のサイクルに添って、年中行事が定められている。田起し、播種(種下し、餅もらい行事)、移植(田植え)、生育、害虫祓い、ワクサイ(穂孕み期。忌み籠もり、鳴り物の禁止)、シュク(アイゴの稚魚)の寄り、初穂儀礼と続き、収穫が終わった旧7,8月は農閑期で、夏の儀礼・祭りが集中する。
・昭和初期にうるち米は品種改良され2期作になったが、本苗の栽培暦にもとづく伝統的な儀礼のサイクルが、奄美では比較的維持されている。
・八重山は年間平均気温22~3度と、奄美より1~2度高く、稲の生育も1ヶ月以上早い。しかし藩種、初穂などの儀礼の周期は稲の栽培暦とは一致しない。これは沖縄・首里王府の政策的な介入があったためではないか(新里亮人)。
・夏冬2期論は、「夏折り目」と「冬折り目」という神まつりの対称性からも論じられている(小野重朗)。奄美から沖縄北部にかけて、夏折り目に年間最大の祭りが集落あげておこなわれる。いずれも集落の発祥(島建て)と関わり、海山を含むシマ空間全体を舞台としたコスモロジカルな祭りである。祭りで踊られる奄美の七月踊り、八月踊りは、祖霊を迎え集落を祓う重要な儀礼的意味を持つ。
2.徳之島のハマウリ
・旧暦七月の盆後の丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)(現在は新暦8月の盆後の金土日)
・同族/地域小集団/家族単位で、ゆかりの洞穴<親下(うやう)り口>の前に集うなど、形態は地域により様々。
・祭りで踊られる「七月踊り」(総称)は、男女集団で掛け合いつつ踊る太鼓輪踊り。
3.徳之島町井之川の浜下りと夏目踊り
*「夏目」とは夏の折り目、「夏目踊り」とは狭義には各戸まわりの踊りのこと
【映像】
1984 年の浜の様子(護岸はまだない)、ミーバマ(=初浜下りの新生児)の祝い
1985 ~ 1988
・1日目;浜掃除、ヤドリ造り(男性)。カマは家、火の神の象徴。ヤドリは40余ヶ。
・2日目;下(お)り祝い(ヤドリ毎に父系の同族集団が参集、中には浜下りの時だけ顔を合わせる人も)、カマ祭り(女性長老が祭祀、各家の初物を供える)。一重一瓶で取りかわし、ミーバマ踏(ク)マシ。(*かつては一晩浜に籠もったという。)帰宅し上(のぼ)り祝。
夜半より夏目踊り→3地区ごとに、各戸を祓って歩く。ネィンケ(水掛け)。
・3日目;ハマギノ(広場の芸能) 3地区合同で、大きな輪となる。曲の種類も多い。
4.夏目踊りのレパートリーと音楽様式
・「でんだらこ」「あったら(惜しい)七月」「とぅゆみ<城(ぐしく)ゆり>」「五尺手拭(グシヤクトノゲ)」他10曲
・うたいつつ踊り、曲ごとに所作は異なる。
・曲ごとに決まった歌い出しの歌詞<元歌(もとうた)>に続き、共通歌詞を掛け合う。
・歌唱形式;男女二声の重なりと歌詞の脱落→テンポの加速へ。
・男が太鼓を打って内側に、女がそれを囲む。踊りすすむにつれ男女の声が重なり、テンポをあげ隊列が渦巻き状に巻き込んでいき、「中までぎっしりつまってしまった大きな人の群塊となって盛り上がってくる」(小野重朗)。
・中心に向かう求心性と重量感、独特の熱っぽさが徳之島の特徴。
・歌の継ぎ方は曲ごとに違い、「文化として練られ磨かれてきた高度のもの」(小野)
【CD】 「井之川の夏目踊り」(井之川夏目踊り保存会);『民謡大観』掲載曲を中心に
5.うたい踊ってみましょう;「あったら七月」
<参考文献>
小野重朗 1982「徳之島の浜下り」『奄美民俗文化の研究』法政大学出版局
---- 1994「シヌグ・ウンジャミ論-琉球北部圏の文化-」『南島の祭り』第一書房
新里亮人 2014「穀物生産をめぐる考古学と民族学-琉球列島を中心に-」『先史学・考古学論究』V、龍田考古会(熊本大学)
松山光秀 2004『徳之島の民俗[1、2]』未来社
---- 2009『徳之島の民俗文化』南方新社他
2014.10.08 第II 部儀礼・行事・祝い「折り目儀礼(節行事)と八月踊り(1)」
第4回琉球弧の農耕暦と年中行事/南島の夏正月①徳之島の浜下りと夏目踊り
1.「夏正月」とは;徳之島町井之川集落に伝わる呼称。
・南島(琉球弧)の季節感は元来夏冬2期で、「春」「秋」という民俗呼称はない。ウリズン(若夏)、アキ(刈り入れ)という用語はある。
・「シマには冬正月と夏正月、二つの正月がある。冬正月は1月の、暦による正月だが、夏正月は旧暦7月、水稲の収穫後の”浜下(ハマウ)り”という夏の折り目祭りの別称だ。水稲耕作の栽培周期による1年の刻みが定着していたところに暦が入ってきたために、両者は混在することになった」(松山光秀)
・季節の転換;夏から冬へ。♪惜しい七月が過ぎて、新しく冬になるのが辛い/恋人の歳、私の歳が寄るのが辛い、とうたわれ、「夏正月」に数えで歳をとった。浜下りがすむと新たに北風(ミーニシ)が吹いてきて朝晩涼しく、季節の転換が実感される。
・行事の内容は、祖霊・死霊を迎え収穫感謝/生命の若返り、衣装の新調/新しい年の農耕予祝など、日本本土の正月と同等の意味を持つ。
・本苗(フンナイ・在来種の餅米)の栽培暦のサイクルに添って、年中行事が定められている。田起し、播種(種下し、餅もらい行事)、移植(田植え)、生育、害虫祓い、ワクサイ(穂孕み期。忌み籠もり、鳴り物の禁止)、シュク(アイゴの稚魚)の寄り、初穂儀礼と続き、収穫が終わった旧7,8月は農閑期で、夏の儀礼・祭りが集中する。
・昭和初期にうるち米は品種改良され2期作になったが、本苗の栽培暦にもとづく伝統的な儀礼のサイクルが、奄美では比較的維持されている。
・八重山は年間平均気温22~3度と、奄美より1~2度高く、稲の生育も1ヶ月以上早い。しかし藩種、初穂などの儀礼の周期は稲の栽培暦とは一致しない。これは沖縄・首里王府の政策的な介入があったためではないか(新里亮人)。
・夏冬2期論は、「夏折り目」と「冬折り目」という神まつりの対称性からも論じられている(小野重朗)。奄美から沖縄北部にかけて、夏折り目に年間最大の祭りが集落あげておこなわれる。いずれも集落の発祥(島建て)と関わり、海山を含むシマ空間全体を舞台としたコスモロジカルな祭りである。祭りで踊られる奄美の七月踊り、八月踊りは、祖霊を迎え集落を祓う重要な儀礼的意味を持つ。
2.徳之島のハマウリ
・旧暦七月の盆後の丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)(現在は新暦8月の盆後の金土日)
・同族/地域小集団/家族単位で、ゆかりの洞穴<親下(うやう)り口>の前に集うなど、形態は地域により様々。
・祭りで踊られる「七月踊り」(総称)は、男女集団で掛け合いつつ踊る太鼓輪踊り。
3.徳之島町井之川の浜下りと夏目踊り
*「夏目」とは夏の折り目、「夏目踊り」とは狭義には各戸まわりの踊りのこと
【映像】
1984 年の浜の様子(護岸はまだない)、ミーバマ(=初浜下りの新生児)の祝い
1985 ~ 1988
・1日目;浜掃除、ヤドリ造り(男性)。カマは家、火の神の象徴。ヤドリは40余ヶ。
・2日目;下(お)り祝い(ヤドリ毎に父系の同族集団が参集、中には浜下りの時だけ顔を合わせる人も)、カマ祭り(女性長老が祭祀、各家の初物を供える)。一重一瓶で取りかわし、ミーバマ踏(ク)マシ。(*かつては一晩浜に籠もったという。)帰宅し上(のぼ)り祝。
夜半より夏目踊り→3地区ごとに、各戸を祓って歩く。ネィンケ(水掛け)。
・3日目;ハマギノ(広場の芸能) 3地区合同で、大きな輪となる。曲の種類も多い。
4.夏目踊りのレパートリーと音楽様式
・「でんだらこ」「あったら(惜しい)七月」「とぅゆみ<城(ぐしく)ゆり>」「五尺手拭(グシヤクトノゲ)」他10曲
・うたいつつ踊り、曲ごとに所作は異なる。
・曲ごとに決まった歌い出しの歌詞<元歌(もとうた)>に続き、共通歌詞を掛け合う。
・歌唱形式;男女二声の重なりと歌詞の脱落→テンポの加速へ。
・男が太鼓を打って内側に、女がそれを囲む。踊りすすむにつれ男女の声が重なり、テンポをあげ隊列が渦巻き状に巻き込んでいき、「中までぎっしりつまってしまった大きな人の群塊となって盛り上がってくる」(小野重朗)。
・中心に向かう求心性と重量感、独特の熱っぽさが徳之島の特徴。
・歌の継ぎ方は曲ごとに違い、「文化として練られ磨かれてきた高度のもの」(小野)
【CD】 「井之川の夏目踊り」(井之川夏目踊り保存会);『民謡大観』掲載曲を中心に
5.うたい踊ってみましょう;「あったら七月」
<参考文献>
小野重朗 1982「徳之島の浜下り」『奄美民俗文化の研究』法政大学出版局
---- 1994「シヌグ・ウンジャミ論-琉球北部圏の文化-」『南島の祭り』第一書房
新里亮人 2014「穀物生産をめぐる考古学と民族学-琉球列島を中心に-」『先史学・考古学論究』V、龍田考古会(熊本大学)
松山光秀 2004『徳之島の民俗[1、2]』未来社
---- 2009『徳之島の民俗文化』南方新社他
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