第七回;正月の年祝いと祝い歌
- 2015/02/21
- 09:47
奄美シマウタ研究会 プログラム アーカイヴ
2015.1.31(土)15:00~18:00@法政大学BT1004 教室
『民謡大観』第II 部「儀礼・行事・祝い」より<正月の年祝いと祝い歌>
旧正月の頃、沖縄、奄美の知人から年賀状をいただくことがあり、旧正月未だ健在なり、と感ずる。第七、八回は、旧正月(2月19日)にちなんで、正月に盛大におこなわれる年祝いと祝い歌をとりあげる。年祝いとは、生まれ年のエトが一巡する13,25,37,49,61,73,85,97 歳の最初のトシビ(エトの日)に、生命力の増強を願って行う祝い。61 歳以後は盛大で、88,99 歳にも行う。
*表記例;歌唱形式(実際のうたわれ方)はabcd・・・ハヤシ詞(ことば)(abcd・・・は、歌詞の各句の置き換え)。
II-4 祝旧正月;奄美大島の祝い歌と年祝い
1.祝い歌 *はレコード音源、録音年も記す。<ハ>は合いの手ハヤシ。
①《朝花節》 笠利佐仁・南政五郎、rec(以下同)1976* 北大島カサン(笠利)の様式。
♪ a <ハ> bc、♪ b <ハ> ab 不定型歌詞
今日祝いや歌あそびの一般的な開始曲は、《朝花節》だろう。まずはカサン歌の第一人者、南政五郎の歌から。
カサン(北大島)とヒギャ(南大島);奄美大島の島唄の二大様式で、各々旧藩時代の行政区画の笠利間切、東間切の名称からきているとされる。第二次大戦後、荒廃の中群島一円を慰問して歩いた北の南政五郎と、南の福島幸義・武下和平の歌は、あまねく知られるところとなり、今日でいうカサンとヒギャを代表する歌として、お手本とされ、二大様式の概念が確立したといわれる。
[映像]南政五郎を訪ねる山田米三(60 年代?「奄美の唄声」池田映画より)
②《朝花節》 瀬戸内町古志・勝島徳郎、1973* 南大島ヒギャ(東方)の様式
同じ朝花でも節まわしなど異なる。勝島は先輩の福島幸義と共に歩いた、ヒギャ歌の名手。のびやかで伸縮自在、活気ある歌いぶり。サンシンの確かな奏法も定評がある。
朝花節は、はやり節ともいわれ、後からの流行だったことがうかがわれる。カサンとかヒギャとか言われる以前は、どんな祝い歌がうたわれていただろうか。
恵原義盛『奄美生活誌』では、「(正月に)三ゴンの儀式が終わると「オケレ節」を唄う。大正以後「長朝花」を唄うようになり、宇検村あたりは「長雲節」である」とある。「オケレ節」は、おこれ節、おほろ節ともいわれる。
③古歌《おほろ節》 結婚祝い名瀬大熊・福元喜美義、1987
♪ abc'cd ヨンナc'cd ヨンナ <祝付けの曲 abcd ヨンナccd ヨンナと類似形式。
文潮光『奄美大島民謡大観』(1933 年刊)に「おこれ節(一名御前風節)」として、「正月とか年の祝い、婚礼出産新築等の儀式祝宴の際、三献とともに必ずうたわれる」「琉球のかぎやて風節の流れをくむ」とある。音引きが長く、歌詞が聞き取りにくい、儀礼歌、神歌によくみられる「長ぶし」のうたいぶり。旋律の抑揚はかじゃで風をなぞっているものの、音組織は琉球音階がなまって民謡音階になっている。
cf. 沖縄《かじゃで風(御前風)》
④ 同新築祝い ♪ abcd ヨンナcd ヨンナ
歌詞の部分反復が欠落。聞き覚えで楽譜はなく、様式性はそれほど厳密ではない。演唱者は、大熊の神役と思われる「ともあんま」から習ったとのこと。
⑤古歌《座(い)り歌》 秋名・山田武丸、1989
祝い、見送り、改葬などの席でうたわれる。《平瀬マンカイの歌.》に旋律は類似している。現在では殆ど聞かれない歌の一つ。
♪ abcd ヨンドccd ヨンド;特徴的な下句反復の、儀礼歌に広くみられる歌唱形式。
⑥《長朝花節》 喜界島志戸桶・森タメ、1965
無伴奏、速いうたいぶり。 ♪ ab'b cd'd
曲名は、8886音(琉歌調4句体)の歌詞を反復して長々とうたう、「長い」朝花ということ。「長節」ともいわれる。
⑦《長朝花節》 同上 参考音源;『歌い継ぐ奄美の島唄喜界島』より、小川学夫収録。
太鼓つきで賑やかに踊られ、六調を思わせる「座踊り歌」(祝いの座で賑やかに踊られる)。原曲といわれる瀬戸内の祝い歌《ほこらしゃ節》(諸鈍芝居にもあり)に近い姿。
[映像]《長朝花節》 (94「六調;佐仁の手踊り歌」コシマビジュアルプロ)
祝い歌として荘重にうたわれる《長朝花》が、本来「座踊り歌」であったという意外な発見。
⑧《やちゃ坊節》 同上 森タメ、1965
♪ ab'bb'b cd'dd'd ハヤシ ♪ヤチャ坊ぬフグリは・・・と、太鼓も入ってにぎやかにうたわれ、古風を留める。歌詞反復型は、《長朝花節》と類似。
⑨《やちゃ坊節》 瀬戸内町俵・竜山義光、1984
○やちゃ坊ちばやちゃ坊、見ちゃる人やうらんど/
津名久いくざね主、やちゃ坊見ちゃんど
(やちゃ坊を、見た人はいない/津名久いくざね主が、見たそうだ)
*一般にはむぞ(可哀想)な生まれ、シマぬ無(ね)ぬ(古里の無い)ともうたわれる。
南大島の一部では正月歌としてもうたわれる。誇らしゃ節→長朝花の系譜に連なる祝い
歌としての背景があるのではないか。
⑩《朝顔節》 瀬戸内町諸数・福島幸義、同花冨・朝崎郁恵、1964*
♪ abb<b>cdd
瀬戸内の一部でうたわれていた祝い歌。殆ど忘れかけられていたのを、戦後福島・勝島が発掘し、今日では祝いの席でよく聞かれるようになった[小川1981]。沖縄の《かじゃで風(御前風)》の流れ、という説は根拠がない。歌唱形式の構造は、abb・cdd と上句下句均衡型で、ccd という不均衡な下句反復ではない。ヨンナもつかない。大島で《かじゃで風》の流れを汲む曲としては前出の《おほろ節》がある。
⑪《長雲節》 宇検村屋鈍 吉永武英、1970*
♪ abb<チジュヤーヤー・・・>cdd
南大島では祝い歌、北大島では別れ歌。えらぶの《ながくま》も関連曲か?
原曲は徳之島の烏賊つりの舟漕ぎ歌《烏賊曳き》ではないかといわれる。地域によっては婚礼、葬送と結びつき、南大島の一部で霊を呼ぶ歌として夜半にはうたわない。
2.年祝いと三献(サンゴン)
サンゴンとは、正月や祝いの朝、「三度の杯事」のみならず三回膳をとりかえ飲食する儀式。祝い事を再度招くという意味で、奇数の三回おこなう。1回目は餅、ないし7種の品を入れた吸い物(久留)、次に二切れの刺身、最後に猪・豚肉等の吸い物。その間、酒と盛り塩・昆布・干し魚の一品ずつを主人がすすめる。なお膳の方式等は地域により異なる[深沢1981 他]。
[映像]「東節しま唄の夕」(1999、国立劇場、瀬戸内民俗芸能保存会);正月の年祝いとい
う設定で、義永秀親瀬戸内町長と武下和平ほか、《朝顔節》、乾杯、三献(サンゴン)の
後ナンコに打ち興じ、歌あしび。《長雲節》《ヨイスラ節》《諸鈍長浜》ほか《六調》まで。
メジャーデビュー前の元ちとせの初々しい歌も聴けます。
《朝顔節》
○三(み)ぶ塩盛(しゅむ)りに、三ちぃ重ね添いてぃ/
寿ぬ祝(ゆわ)え、祝てぃ差上(うえ)しゃおろ
(三品盛り塩に、三つ重ねの盃を添えて/長寿の祝い、祝って差し上げましょう)
《長雲節》
○白髪(しらげ)年寄(ゆ)りや、床ぬ前(め)に祝(ゆわ)てぃ/
我達(わきゃ)や下さがてぃ、押上(うしゃ)げ拝(うが)も
(白髪のお年寄りは、床の前に祝って/私達は下座にさがって、拝礼しましょう)
○命果報願(ねげ)えば、石ぬ身ぬ如(ぐとぅ)に/
千歳(ちとせ)なるまで、子孫うちすろてぃ
(長寿を願うなら、石のように強く/千年になるまで、子孫揃って繁盛するように)
<参考文献・CD>
恵原義盛 1973『奄美生活誌』木耳社
小川学夫 1981『奄美の島唄』根元書房
---- 1984『「民謡の島」の生活誌』PHP 研究所
----(監修) 2014『歌い継ぐ奄美の島唄』(CD ブック) 奄美島唄保存伝承事業実行委員会
文(かざり) 潮光1933(復刻1983)『奄美大島民謡大観』自家版
島尾敏雄 1966「シマの正月」『島にて』冬樹社
深沢秀夫 1981「シマ社会に於ける共食慣行-奄美の三献と一重一瓶を手掛かりに-」『南島史学』17,18合併号
他
(文責:酒井正子)
2015.1.31(土)15:00~18:00@法政大学BT1004 教室
『民謡大観』第II 部「儀礼・行事・祝い」より<正月の年祝いと祝い歌>
旧正月の頃、沖縄、奄美の知人から年賀状をいただくことがあり、旧正月未だ健在なり、と感ずる。第七、八回は、旧正月(2月19日)にちなんで、正月に盛大におこなわれる年祝いと祝い歌をとりあげる。年祝いとは、生まれ年のエトが一巡する13,25,37,49,61,73,85,97 歳の最初のトシビ(エトの日)に、生命力の増強を願って行う祝い。61 歳以後は盛大で、88,99 歳にも行う。
*表記例;歌唱形式(実際のうたわれ方)はabcd・・・ハヤシ詞(ことば)(abcd・・・は、歌詞の各句の置き換え)。
II-4 祝旧正月;奄美大島の祝い歌と年祝い
1.祝い歌 *はレコード音源、録音年も記す。<ハ>は合いの手ハヤシ。
①《朝花節》 笠利佐仁・南政五郎、rec(以下同)1976* 北大島カサン(笠利)の様式。
♪ a <ハ> bc、♪ b <ハ> ab 不定型歌詞
今日祝いや歌あそびの一般的な開始曲は、《朝花節》だろう。まずはカサン歌の第一人者、南政五郎の歌から。
カサン(北大島)とヒギャ(南大島);奄美大島の島唄の二大様式で、各々旧藩時代の行政区画の笠利間切、東間切の名称からきているとされる。第二次大戦後、荒廃の中群島一円を慰問して歩いた北の南政五郎と、南の福島幸義・武下和平の歌は、あまねく知られるところとなり、今日でいうカサンとヒギャを代表する歌として、お手本とされ、二大様式の概念が確立したといわれる。
[映像]南政五郎を訪ねる山田米三(60 年代?「奄美の唄声」池田映画より)
②《朝花節》 瀬戸内町古志・勝島徳郎、1973* 南大島ヒギャ(東方)の様式
同じ朝花でも節まわしなど異なる。勝島は先輩の福島幸義と共に歩いた、ヒギャ歌の名手。のびやかで伸縮自在、活気ある歌いぶり。サンシンの確かな奏法も定評がある。
朝花節は、はやり節ともいわれ、後からの流行だったことがうかがわれる。カサンとかヒギャとか言われる以前は、どんな祝い歌がうたわれていただろうか。
恵原義盛『奄美生活誌』では、「(正月に)三ゴンの儀式が終わると「オケレ節」を唄う。大正以後「長朝花」を唄うようになり、宇検村あたりは「長雲節」である」とある。「オケレ節」は、おこれ節、おほろ節ともいわれる。
③古歌《おほろ節》 結婚祝い名瀬大熊・福元喜美義、1987
♪ abc'cd ヨンナc'cd ヨンナ <祝付けの曲 abcd ヨンナccd ヨンナと類似形式。
文潮光『奄美大島民謡大観』(1933 年刊)に「おこれ節(一名御前風節)」として、「正月とか年の祝い、婚礼出産新築等の儀式祝宴の際、三献とともに必ずうたわれる」「琉球のかぎやて風節の流れをくむ」とある。音引きが長く、歌詞が聞き取りにくい、儀礼歌、神歌によくみられる「長ぶし」のうたいぶり。旋律の抑揚はかじゃで風をなぞっているものの、音組織は琉球音階がなまって民謡音階になっている。
cf. 沖縄《かじゃで風(御前風)》
④ 同新築祝い ♪ abcd ヨンナcd ヨンナ
歌詞の部分反復が欠落。聞き覚えで楽譜はなく、様式性はそれほど厳密ではない。演唱者は、大熊の神役と思われる「ともあんま」から習ったとのこと。
⑤古歌《座(い)り歌》 秋名・山田武丸、1989
祝い、見送り、改葬などの席でうたわれる。《平瀬マンカイの歌.》に旋律は類似している。現在では殆ど聞かれない歌の一つ。
♪ abcd ヨンドccd ヨンド;特徴的な下句反復の、儀礼歌に広くみられる歌唱形式。
⑥《長朝花節》 喜界島志戸桶・森タメ、1965
無伴奏、速いうたいぶり。 ♪ ab'b cd'd
曲名は、8886音(琉歌調4句体)の歌詞を反復して長々とうたう、「長い」朝花ということ。「長節」ともいわれる。
⑦《長朝花節》 同上 参考音源;『歌い継ぐ奄美の島唄喜界島』より、小川学夫収録。
太鼓つきで賑やかに踊られ、六調を思わせる「座踊り歌」(祝いの座で賑やかに踊られる)。原曲といわれる瀬戸内の祝い歌《ほこらしゃ節》(諸鈍芝居にもあり)に近い姿。
[映像]《長朝花節》 (94「六調;佐仁の手踊り歌」コシマビジュアルプロ)
祝い歌として荘重にうたわれる《長朝花》が、本来「座踊り歌」であったという意外な発見。
⑧《やちゃ坊節》 同上 森タメ、1965
♪ ab'bb'b cd'dd'd ハヤシ ♪ヤチャ坊ぬフグリは・・・と、太鼓も入ってにぎやかにうたわれ、古風を留める。歌詞反復型は、《長朝花節》と類似。
⑨《やちゃ坊節》 瀬戸内町俵・竜山義光、1984
○やちゃ坊ちばやちゃ坊、見ちゃる人やうらんど/
津名久いくざね主、やちゃ坊見ちゃんど
(やちゃ坊を、見た人はいない/津名久いくざね主が、見たそうだ)
*一般にはむぞ(可哀想)な生まれ、シマぬ無(ね)ぬ(古里の無い)ともうたわれる。
南大島の一部では正月歌としてもうたわれる。誇らしゃ節→長朝花の系譜に連なる祝い
歌としての背景があるのではないか。
⑩《朝顔節》 瀬戸内町諸数・福島幸義、同花冨・朝崎郁恵、1964*
♪ abb<b>cdd
瀬戸内の一部でうたわれていた祝い歌。殆ど忘れかけられていたのを、戦後福島・勝島が発掘し、今日では祝いの席でよく聞かれるようになった[小川1981]。沖縄の《かじゃで風(御前風)》の流れ、という説は根拠がない。歌唱形式の構造は、abb・cdd と上句下句均衡型で、ccd という不均衡な下句反復ではない。ヨンナもつかない。大島で《かじゃで風》の流れを汲む曲としては前出の《おほろ節》がある。
⑪《長雲節》 宇検村屋鈍 吉永武英、1970*
♪ abb<チジュヤーヤー・・・>cdd
南大島では祝い歌、北大島では別れ歌。えらぶの《ながくま》も関連曲か?
原曲は徳之島の烏賊つりの舟漕ぎ歌《烏賊曳き》ではないかといわれる。地域によっては婚礼、葬送と結びつき、南大島の一部で霊を呼ぶ歌として夜半にはうたわない。
2.年祝いと三献(サンゴン)
サンゴンとは、正月や祝いの朝、「三度の杯事」のみならず三回膳をとりかえ飲食する儀式。祝い事を再度招くという意味で、奇数の三回おこなう。1回目は餅、ないし7種の品を入れた吸い物(久留)、次に二切れの刺身、最後に猪・豚肉等の吸い物。その間、酒と盛り塩・昆布・干し魚の一品ずつを主人がすすめる。なお膳の方式等は地域により異なる[深沢1981 他]。
[映像]「東節しま唄の夕」(1999、国立劇場、瀬戸内民俗芸能保存会);正月の年祝いとい
う設定で、義永秀親瀬戸内町長と武下和平ほか、《朝顔節》、乾杯、三献(サンゴン)の
後ナンコに打ち興じ、歌あしび。《長雲節》《ヨイスラ節》《諸鈍長浜》ほか《六調》まで。
メジャーデビュー前の元ちとせの初々しい歌も聴けます。
《朝顔節》
○三(み)ぶ塩盛(しゅむ)りに、三ちぃ重ね添いてぃ/
寿ぬ祝(ゆわ)え、祝てぃ差上(うえ)しゃおろ
(三品盛り塩に、三つ重ねの盃を添えて/長寿の祝い、祝って差し上げましょう)
《長雲節》
○白髪(しらげ)年寄(ゆ)りや、床ぬ前(め)に祝(ゆわ)てぃ/
我達(わきゃ)や下さがてぃ、押上(うしゃ)げ拝(うが)も
(白髪のお年寄りは、床の前に祝って/私達は下座にさがって、拝礼しましょう)
○命果報願(ねげ)えば、石ぬ身ぬ如(ぐとぅ)に/
千歳(ちとせ)なるまで、子孫うちすろてぃ
(長寿を願うなら、石のように強く/千年になるまで、子孫揃って繁盛するように)
<参考文献・CD>
恵原義盛 1973『奄美生活誌』木耳社
小川学夫 1981『奄美の島唄』根元書房
---- 1984『「民謡の島」の生活誌』PHP 研究所
----(監修) 2014『歌い継ぐ奄美の島唄』(CD ブック) 奄美島唄保存伝承事業実行委員会
文(かざり) 潮光1933(復刻1983)『奄美大島民謡大観』自家版
島尾敏雄 1966「シマの正月」『島にて』冬樹社
深沢秀夫 1981「シマ社会に於ける共食慣行-奄美の三献と一重一瓶を手掛かりに-」『南島史学』17,18合併号
他
(文責:酒井正子)
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