第十三回;「私とシマウタ-奄美の竪琴をめぐって-」報告
- 2015/12/01
- 23:07
奄美シマウタ研究会 プログラム アーカイヴ
2015.11.11(水)18:30~21:00@法政大学BT0805教室
第十三回;「私とシマウタ-奄美の竪琴をめぐって-」報告
お話 : 森田純一(JABARAレーベル主宰)
ナビゲーター : 大橋 穣(奄美シマウタ研究会)
森田純一(もりた・じゅんいち)氏:1951年生まれ、埼玉県出身。高校時代から音楽活動に携わる。日大芸術学部在学中には江古田祭で初のロックフェスティバルを企画。75年から沖縄・奄美を巡り録音、評論活動など精力的に島唄の紹介に取り組む。著書に「島唄~オキナワ・ラプソディ登川誠仁伝」(荒地出版社)、共著「音の力」(インパクト出版会)、「ウチナーポップ」(東京書籍)など。
1.アサヒグラフの記事紹介~自己紹介を兼ねて~
資料:「奄美大島 最後の島唄王国」アサヒグラフ1992.12.25
奄美群島日本復帰40周年記念イベント「太陽の島、唄の島」パンフレット 1993.11.7
「10年先の奄美、10年前の奄美」南海日日新聞・元日版第5部 2009.1.1
*1992年、アサヒグラフの奄美取材で初めて唄遊びに触れたことがすべての始まり。
【映 像】
①築地俊造唄遊び 1992年11月9日 笠利町川上。
佐仁の人々との唄遊び。築地氏を含む男性陣と女性陣の歌掛けだが、女性陣は佐仁独特の群(ぼ)れ唄(男性群と女性群が、各々斉唱で声をそろえて掛け合うスタイル)で応戦。「朝花節」「くるだんど節」「あがれ日ぬ春加那」
②中野律紀/貴島康男・松元良作他(坪山教室)1992年11月7日
日本民謡大賞のグランプリを獲得した翌年の中野律紀さんの古仁屋での様子。海辺での「よいすら節(部分)」/名瀬の坪山教室での練習風景。「行きゅんにゃ加那節」「一切朝花節」。森田氏によれば、見学に来た初心者にもすぐに三線を持たせていたのが印象的だった。
2.JABARAレコードの紹介
資料:JABARAレコードのシマウタCDリリース一覧 全37タイトル(リストおよびCDをご希望の方は研究会で直接森田氏にご依頼ください)
【音 声】 ③竹島信一さんの未発表音源から「朝花節~長朝花節」(囃子:西和美) 2010.9.18録音
~休憩~
3.奄美の竪琴をめぐって
資料:「ホーカイ節」江戸明治 世渡風俗図会 より
奄美では竪琴をシマウタに付けて奏することがあるが、本土でも琴の伴奏で歌うことは多かった。それが外で流して唄われる時は縦にして演奏されることもあった。里国隆は本土から来た行商の竪琴弾きについて行って覚えたという証言もある。音と映像を通してその系譜を辿る。
【音 声】 ④「巷の流し芸―琴と唄 上田正夫」より「博多夜船」
上田正夫氏は博多の花柳界を流していた人
【映 像】
⑤里国隆 1985年5月19日 尼崎サンシビックホール
亡くなる直前の貴重な映像。流ちょうな口上と三味線での「朝花節」(囃子と唄:中村ヤエ)、竪琴で「朝花節」(囃子と唄:萩原キミエ・松山美枝子)、竪琴で「製紙工場の唄」「すととん節」(独演)
【音 声】 ⑥盛島貴男 CD「奄美竪琴」より「行きゅんにゃ加那節」
4.私とシマウタ
――森田さんにとってシマウタとは?
森田 一緒にシマの料理(とお酒)とお話しがついているものです。唄と料理と話の3つがそろっているというのはなかなかないのではないでしょうか。名瀬だけでなくもっと奥のほうでもたくさん行われています。そこに尽きると思います。
<参加者との質疑応答は略>
(報告:大橋)
2015.11.11(水)18:30~21:00@法政大学BT0805教室
第十三回;「私とシマウタ-奄美の竪琴をめぐって-」報告
お話 : 森田純一(JABARAレーベル主宰)
ナビゲーター : 大橋 穣(奄美シマウタ研究会)
森田純一(もりた・じゅんいち)氏:1951年生まれ、埼玉県出身。高校時代から音楽活動に携わる。日大芸術学部在学中には江古田祭で初のロックフェスティバルを企画。75年から沖縄・奄美を巡り録音、評論活動など精力的に島唄の紹介に取り組む。著書に「島唄~オキナワ・ラプソディ登川誠仁伝」(荒地出版社)、共著「音の力」(インパクト出版会)、「ウチナーポップ」(東京書籍)など。
1.アサヒグラフの記事紹介~自己紹介を兼ねて~
資料:「奄美大島 最後の島唄王国」アサヒグラフ1992.12.25
奄美群島日本復帰40周年記念イベント「太陽の島、唄の島」パンフレット 1993.11.7
「10年先の奄美、10年前の奄美」南海日日新聞・元日版第5部 2009.1.1
*1992年、アサヒグラフの奄美取材で初めて唄遊びに触れたことがすべての始まり。
【映 像】
①築地俊造唄遊び 1992年11月9日 笠利町川上。
佐仁の人々との唄遊び。築地氏を含む男性陣と女性陣の歌掛けだが、女性陣は佐仁独特の群(ぼ)れ唄(男性群と女性群が、各々斉唱で声をそろえて掛け合うスタイル)で応戦。「朝花節」「くるだんど節」「あがれ日ぬ春加那」
②中野律紀/貴島康男・松元良作他(坪山教室)1992年11月7日
日本民謡大賞のグランプリを獲得した翌年の中野律紀さんの古仁屋での様子。海辺での「よいすら節(部分)」/名瀬の坪山教室での練習風景。「行きゅんにゃ加那節」「一切朝花節」。森田氏によれば、見学に来た初心者にもすぐに三線を持たせていたのが印象的だった。
2.JABARAレコードの紹介
資料:JABARAレコードのシマウタCDリリース一覧 全37タイトル(リストおよびCDをご希望の方は研究会で直接森田氏にご依頼ください)
【音 声】 ③竹島信一さんの未発表音源から「朝花節~長朝花節」(囃子:西和美) 2010.9.18録音
~休憩~
3.奄美の竪琴をめぐって
資料:「ホーカイ節」江戸明治 世渡風俗図会 より
奄美では竪琴をシマウタに付けて奏することがあるが、本土でも琴の伴奏で歌うことは多かった。それが外で流して唄われる時は縦にして演奏されることもあった。里国隆は本土から来た行商の竪琴弾きについて行って覚えたという証言もある。音と映像を通してその系譜を辿る。
【音 声】 ④「巷の流し芸―琴と唄 上田正夫」より「博多夜船」
上田正夫氏は博多の花柳界を流していた人
【映 像】
⑤里国隆 1985年5月19日 尼崎サンシビックホール
亡くなる直前の貴重な映像。流ちょうな口上と三味線での「朝花節」(囃子と唄:中村ヤエ)、竪琴で「朝花節」(囃子と唄:萩原キミエ・松山美枝子)、竪琴で「製紙工場の唄」「すととん節」(独演)
【音 声】 ⑥盛島貴男 CD「奄美竪琴」より「行きゅんにゃ加那節」
4.私とシマウタ
――森田さんにとってシマウタとは?
森田 一緒にシマの料理(とお酒)とお話しがついているものです。唄と料理と話の3つがそろっているというのはなかなかないのではないでしょうか。名瀬だけでなくもっと奥のほうでもたくさん行われています。そこに尽きると思います。
<参加者との質疑応答は略>
(報告:大橋)
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