日本口承文芸学会第72回研究例会
- 2017/02/12
- 10:09
日本口承文芸学会 第72回研究例会ご案内 /共催 ♪奄美シマウタ研究会♪
入場無料 *どなたでも来場いただけます
2017年3月11日(土) 14:30~17:30 國學院大學渋谷校舎3号館5階3502演習室
総合司会;酒井正子/インタビュー・進行;飯倉義之、細田正実ほか
<都市語りの可能性(2)>
♪シマグチの響きにふれてみませんか~東京での奄美シマウタ伝承;実演とトーク
<都市語り>とは、「故郷を出た人々が、時代の変化の中でしなやかに生きながら、なおかつ故郷の言葉を忘れず、口承文芸や芸能によって都市で継承していく活動」(野村敬子)です。2015年の東京竹富郷友会に続き、今回は奄美シマウタ伝承をとりあげます。
東京ではここ数年、フロアと一体になってうたったり踊ったりするミニライブが活発で、若手唄者(うたしゃ)が活躍し、本土の常連客もその支えとなっています。見方によっては唄あしびの復活ともとれる状況です。今回は各世代の伝承者をお招きして、あらためて都市でのシマウタ伝承を、シマことばの現状ともからめながら考えてみます。
都市では、島の全体状況がかえってはっきりみえてくる側面もあります。また島とは異なるあらたな出会いや結びつき、伝承のあり方も垣間見えることでしょう。
また首都圏の生活者にとっても、共通語とは異質の口承文芸世界を体感享受する機会になるでしょう。シマグチ、シマウタの響きをとおして、新たな発見があれば幸いです。
* * *
はじめに シマグチの響き-岩倉市郎の喜界島昔話より (吉野治子)
1 奄美諸島でのシマことば(シマグチ、シマユムタ)の変遷と問題点 (酒井正子)
・明治期より、方言撲滅・追放運動、方言札;学校内での罰則を伴う禁止、抑制教育。
・第二次大戦後においても、日本復帰運動の高まりの中で「よい日本人になろう」と、教員が主導、家庭でもシマグチを使わない運動を、地域ぐるみで展開(沖永良部島)。
・1953年の日本復帰後も、進学就職等で不利にならないようにと方言禁止教育は続く。
・日常会話はトン普通語(変形標準語、ネオ方言)で。
・昭和30~40年代('55~'74)まで厳しく、シマの文化の否定、シマウタからの疎外につながり、今日「消滅危機言語」とされる遠因にもなっただろう(→4と関連)。
・1980年ころより、シマことば復活の気運。シマ口シマ唄大会(大島、徳之島)等。
→日常語としては失われていく危機感の台頭。
・2002年~一校一島唄・島口運動、'07~シマ言葉の日(2.18)、'09消滅危機言語に。
2 東京での島唄教室設立
・出郷者の拠点としての東京奄美会(1899~)。密航、復帰運動。
・朝崎教室設立(1982~)前後のこと(座談;関玲子、林延宏、中田建夫、本田よしの)
3 朝崎教室以後;東京奄美サンシン会(1989~)本田よしの他 [♪実演とトーク]
4 戦後の方言禁止教育世代(とその子供世代);歌いたくても歌えない、踊れない人も。
5 島唄認知世代
・2002年~元ちとせ、朝崎郁恵等のメジャーデビュー、全国的認知
・活発なミニライブとサポーター;東京での各種ライブの企画・広報サイト/ライブスポットの紹介(吉田良夫)
・若手唄者の活躍;牧岡奈実、徳原大和、里朋樹 [♪実演とトーク]
♪ワイド節~六調にておひらき
<プロフィール>
東京奄美サンシン会
1989年発足の、奄美島唄愛好者の集まり。 広瀬輝夫『奄美島唄集』(音楽の友社、1992)を教本に、初心者、本土出身者も広く参加し、現在会員は約50名。月2回練習、年1回発表会ほか、唄アシビなども開催。会長は藤井富廣氏(徳之島町手々出身)。
本田よしの会主は1941年生、宇検村田検出身。母、祖母も歌好きで、唄者の所によく連れていかれた。1981年に上京後、朝崎教室で習い、1989年広瀬輝夫氏が東京奄美サンシン会を創設と同時に参加、1993年同氏の死去を受けて会を継承、2代目会主となる。
牧岡奈美(まきおか・なみ)
1983年生、喜界島赤連出身。4歳よりピアノ、小学3年より安田教室で三線・島唄を習い、祖母の島唄の相手をする。中学在学中「鹿児島県民謡王座決定戦」3年連続優勝、2002年「奄美民謡大賞」受賞。’08年より東京在住、島唄のほか各種共演やオリジナル曲など幅広く音楽活動を展開中。現在レインボ-タウンFMのパーソナリティ。アルバムに「牧岡奈美傑作集」「うふくんでーた」「南柯 Nanka」「シツルシマ」他多数。
徳原大和(とくはら・やまと)
1988年生、瀬戸内町古仁屋出身。幼少より島唄に興味を持ち、公民館講座にて習い始める。「諸鈍芝居」(国指定重要無形民俗文化財)の地方として小中学校在学中より活躍、諸鈍の浜で毎日のように三線を稽古する姿が評判となる。2003年「奄美民謡大賞」青年の部敢闘賞、'04年「日本民謡協会」地区予選優勝。TV、映画にも出演多数。現在東京で三線教室「朝顔会」を主宰。アルバムに「徳原大和」。
里 朋樹(さと・ともき)
1990年生、瀬戸内町古仁屋出身。元ちとせを育てた中野豊成氏に6歳から師事。祖父、妹も唄者で、幼少より島唄に親しんで育つ。2002、'03年「奄美民謡大賞」少年の部最優秀賞、'02年「民謡民舞少年少女全国大会」準優勝。大学進学後、関西を中心に島唄ライブで活躍。アルバムに「大樹の唄」。
◎例会終了後、出席者の皆さんとの懇親会&ミニライブを計画しています。
お問い合わせの方法は 前の記事 をご覧ください。
<國學院大學渋谷校舎 アクセス>
渋谷駅(JR山手線・地下鉄・京王井の頭線・東急各線)から徒歩約13分
渋谷駅(JR埼京線)新南口から徒歩約10分
渋谷駅東口都営バスターミナル54番のりば「学03日赤医療センター行」国学院大学前 下車(渋谷駅から3番目の停留所、所要時間約10分)
表参道駅(地下鉄半蔵門線・銀座線・千代田線)B1出口から徒歩約15分
恵比寿駅(JR山手線・地下鉄日比谷線)から徒歩約15分
恵比寿駅西口ロータリー都営バス1番のりば「学06日赤医療センター行」東四丁目 下車(恵比寿駅から3番目の停留所、所要時間約10分)
入場無料 *どなたでも来場いただけます
2017年3月11日(土) 14:30~17:30 國學院大學渋谷校舎3号館5階3502演習室
総合司会;酒井正子/インタビュー・進行;飯倉義之、細田正実ほか
<都市語りの可能性(2)>
♪シマグチの響きにふれてみませんか~東京での奄美シマウタ伝承;実演とトーク
<都市語り>とは、「故郷を出た人々が、時代の変化の中でしなやかに生きながら、なおかつ故郷の言葉を忘れず、口承文芸や芸能によって都市で継承していく活動」(野村敬子)です。2015年の東京竹富郷友会に続き、今回は奄美シマウタ伝承をとりあげます。
東京ではここ数年、フロアと一体になってうたったり踊ったりするミニライブが活発で、若手唄者(うたしゃ)が活躍し、本土の常連客もその支えとなっています。見方によっては唄あしびの復活ともとれる状況です。今回は各世代の伝承者をお招きして、あらためて都市でのシマウタ伝承を、シマことばの現状ともからめながら考えてみます。
都市では、島の全体状況がかえってはっきりみえてくる側面もあります。また島とは異なるあらたな出会いや結びつき、伝承のあり方も垣間見えることでしょう。
また首都圏の生活者にとっても、共通語とは異質の口承文芸世界を体感享受する機会になるでしょう。シマグチ、シマウタの響きをとおして、新たな発見があれば幸いです。
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はじめに シマグチの響き-岩倉市郎の喜界島昔話より (吉野治子)
1 奄美諸島でのシマことば(シマグチ、シマユムタ)の変遷と問題点 (酒井正子)
・明治期より、方言撲滅・追放運動、方言札;学校内での罰則を伴う禁止、抑制教育。
・第二次大戦後においても、日本復帰運動の高まりの中で「よい日本人になろう」と、教員が主導、家庭でもシマグチを使わない運動を、地域ぐるみで展開(沖永良部島)。
・1953年の日本復帰後も、進学就職等で不利にならないようにと方言禁止教育は続く。
・日常会話はトン普通語(変形標準語、ネオ方言)で。
・昭和30~40年代('55~'74)まで厳しく、シマの文化の否定、シマウタからの疎外につながり、今日「消滅危機言語」とされる遠因にもなっただろう(→4と関連)。
・1980年ころより、シマことば復活の気運。シマ口シマ唄大会(大島、徳之島)等。
→日常語としては失われていく危機感の台頭。
・2002年~一校一島唄・島口運動、'07~シマ言葉の日(2.18)、'09消滅危機言語に。
2 東京での島唄教室設立
・出郷者の拠点としての東京奄美会(1899~)。密航、復帰運動。
・朝崎教室設立(1982~)前後のこと(座談;関玲子、林延宏、中田建夫、本田よしの)
3 朝崎教室以後;東京奄美サンシン会(1989~)本田よしの他 [♪実演とトーク]
4 戦後の方言禁止教育世代(とその子供世代);歌いたくても歌えない、踊れない人も。
5 島唄認知世代
・2002年~元ちとせ、朝崎郁恵等のメジャーデビュー、全国的認知
・活発なミニライブとサポーター;東京での各種ライブの企画・広報サイト/ライブスポットの紹介(吉田良夫)
・若手唄者の活躍;牧岡奈実、徳原大和、里朋樹 [♪実演とトーク]
♪ワイド節~六調にておひらき
<プロフィール>
東京奄美サンシン会
1989年発足の、奄美島唄愛好者の集まり。 広瀬輝夫『奄美島唄集』(音楽の友社、1992)を教本に、初心者、本土出身者も広く参加し、現在会員は約50名。月2回練習、年1回発表会ほか、唄アシビなども開催。会長は藤井富廣氏(徳之島町手々出身)。
本田よしの会主は1941年生、宇検村田検出身。母、祖母も歌好きで、唄者の所によく連れていかれた。1981年に上京後、朝崎教室で習い、1989年広瀬輝夫氏が東京奄美サンシン会を創設と同時に参加、1993年同氏の死去を受けて会を継承、2代目会主となる。
牧岡奈美(まきおか・なみ)
1983年生、喜界島赤連出身。4歳よりピアノ、小学3年より安田教室で三線・島唄を習い、祖母の島唄の相手をする。中学在学中「鹿児島県民謡王座決定戦」3年連続優勝、2002年「奄美民謡大賞」受賞。’08年より東京在住、島唄のほか各種共演やオリジナル曲など幅広く音楽活動を展開中。現在レインボ-タウンFMのパーソナリティ。アルバムに「牧岡奈美傑作集」「うふくんでーた」「南柯 Nanka」「シツルシマ」他多数。
徳原大和(とくはら・やまと)
1988年生、瀬戸内町古仁屋出身。幼少より島唄に興味を持ち、公民館講座にて習い始める。「諸鈍芝居」(国指定重要無形民俗文化財)の地方として小中学校在学中より活躍、諸鈍の浜で毎日のように三線を稽古する姿が評判となる。2003年「奄美民謡大賞」青年の部敢闘賞、'04年「日本民謡協会」地区予選優勝。TV、映画にも出演多数。現在東京で三線教室「朝顔会」を主宰。アルバムに「徳原大和」。
里 朋樹(さと・ともき)
1990年生、瀬戸内町古仁屋出身。元ちとせを育てた中野豊成氏に6歳から師事。祖父、妹も唄者で、幼少より島唄に親しんで育つ。2002、'03年「奄美民謡大賞」少年の部最優秀賞、'02年「民謡民舞少年少女全国大会」準優勝。大学進学後、関西を中心に島唄ライブで活躍。アルバムに「大樹の唄」。
◎例会終了後、出席者の皆さんとの懇親会&ミニライブを計画しています。
お問い合わせの方法は 前の記事 をご覧ください。
<國學院大學渋谷校舎 アクセス>
渋谷駅(JR山手線・地下鉄・京王井の頭線・東急各線)から徒歩約13分
渋谷駅(JR埼京線)新南口から徒歩約10分
渋谷駅東口都営バスターミナル54番のりば「学03日赤医療センター行」国学院大学前 下車(渋谷駅から3番目の停留所、所要時間約10分)
表参道駅(地下鉄半蔵門線・銀座線・千代田線)B1出口から徒歩約15分
恵比寿駅(JR山手線・地下鉄日比谷線)から徒歩約15分
恵比寿駅西口ロータリー都営バス1番のりば「学06日赤医療センター行」東四丁目 下車(恵比寿駅から3番目の停留所、所要時間約10分)
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