第二十四回奄美シマウタ研究会報告
- 2017/10/10
- 21:29
2017年3月11日 第72回日本口承文芸学会研究例会/第24回♪奄美シマウタ研究会♪ 報告
真下 厚
「都市語りの可能性(2)♪シマグチの響きにふれてみませんか〜東京での奄美シマウタ伝承」
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一昨年度の東京竹富郷友会をテーマとする催しに続くもの。当日、会場となった國學院大学渋谷校舎3502演習室は満席で立ち見も出て、入場制限せざるを得ないというような盛況ぶりであった。全体は6部で構成され、まず「シマグチの響き」として吉野治子氏による岩倉市郎氏『喜界島昔話集』「旅人馬」をもとにした昔語りで始まった。喜界島ユミタの柔らかな響きが耳に残った。次いで、コーディネーターの酒井正子氏による報告「奄美諸島でのシマことば(シマグチ、シマユムタ)の動向」。シマウタの土台となるシマグチをめぐる捉え方の変遷や現状など、とりわけ戦後の日本復帰運動などとも関わる方言の禁止、そしてそれが方言の尊重へと転じる動きについて、奄美の人々の体験を記した資料などをもとにしながら具体的で詳細な報告がなされ、また歌とともにその由来をシマグチで語るという試みが近年なされていることも紹介された。
次に、「東京での島唄教室設立の前後」と題して関玲子氏・林延宏氏によって設立時の頃のエピソードや朝崎教室のニューヨーク公演時のエピソードの紹介がなされ、続いて「島唄教室の継続」と題して1989年発足の東京奄美サンシン会の活動紹介と実演がなされた。現会主の本田よしの氏の、東京に出てシマウタのサンシンを聴いて涙がボロボロと流れシマウタを習うきっかけになったというお話は感動的だった。小川学夫氏がウタシャ誕生のかたちの一つに、島を離れて異郷でたまたま島唄を聴き衝撃を受けてシマウタに熱中しウタシャになるという場合を挙げている(『「民謡の島」の生活誌』PHP研究所、1984年)ことを想起させる体験である。この会には奄美出身者や二世、三世の人たちだけでなく、本土出身者も広く参加しておられるとのことだが、島唄のさまざまな要素がどう変化することによって広く受け入れられ、継承されることになったのか。これとは逆に、野村敬子氏の発言にあったように島を離れた東京で古いかたちが伝えられているということも考えられよう。また、他の都市、たとえば神戸や大阪ではどうか。こうした問題は今後さらに深められてゆくこととなろう。
次いで、「島唄の全国的認知」の実例として、吉田良夫氏による東京でのライブ企画・広報サイトとライブスポットの紹介、いま活躍中の牧岡奈美・徳原大和・里朋樹という若手ウタシャの素晴らしい実演などが行われ、そして最後には恒例の六調で会場はおひらきとなった。
大変充実したひとときであった。地域のことばによって支えられる歌掛け文化はそのことばが衰退してゆくと危機に瀕することとなる。そのようななかで、東京奄美サンシン会の活動から文化の継承について学ぶところは大きい。東アジア・東南アジアの各地に歌掛け文化が存在するが、同様にことばの衰退などの困難な問題を抱えている。こうしたことをめぐって、いつの日か、これら歌掛け文化を継承する人々が一堂に会して話し合うようなシンポジウムを開催できないものかと夢想したことだった。 (京都府)