第三回;琉球弧のわらべうた
- 2014/08/10
- 13:10
奄美シマウタ研究会 プログラム アーカイヴ
2014.07.09 第三回;琉球弧のわらべうた (講師;赤羽由規子先生)
*東京芸大民族音楽ゼミナール(通称民ゼミ)最古参の赤羽由規子先生をお招きしての
ワークショップ。赤羽先生は明治大学・放送大学等講師、『日本民謡大観(沖縄奄美)』全4巻の
”わらべうた””子守唄”の編集・執筆を担当されたベテラン中のベテラン。
『日本民謡大観』は、現地収録の音源をもとに採譜、歌詞を聞き取り、収録日時、場所、演唱者を
明記して解説を付した、画期的な資料集です。
1.日本の民俗(族)音楽学の幕開けは、わらべうた研究から
1960年 小泉文夫、東京芸術大学音楽学部楽理科に赴任、わらべ歌調査に着手。ゼミの学生たちに「テレコを持って街に出よう」のすすめ。あそんでいる子どもたちをみつけて、その歌を録音する課題。翌年より、東京の小学校100校調査、雑誌にコラムを掲載。
その原稿料を元手に、63年、沖縄の民俗音楽調査開始。
1969年 東京の小学校調査をもとに、『わらべうたの研究』出版
1972年 沖縄の日本復帰、翌年より沖縄全域へ本格的な現地調査。「採譜集」(国頭篇、宮 古篇、八重山篇)を順次作成
1980年 日本放送協会、『日本民謡大観 沖縄奄美篇』の制作を外間・小泉両氏に依頼。 奄美が是非必要、という外間氏の助言により、急遽奄美全域の調査に着手
1983年 小泉文夫急逝(56才!) 遺志を継ぎ、調査・出版を継続
1989年 『日本民謡大観(沖縄・奄美)八重山諸島篇』、90年『同宮古諸島篇』、91年『同沖縄諸島篇』、93年『同奄美諸島篇』刊行
2.わらべうたの様相
・63年沖縄島;♪予科練の歌(軍歌)でゴム跳び。借用が多く、本土とレパートリーはさして変わらない。
→そこで中高年の人たちに、かつて子どもだった頃のあそび歌を尋ね、琉球弧独自の歌を探ることにした。
・♪飛行機の、宙返り(まりつき歌);東京に1例しかない歌が那覇でうたわれ、沖縄では付点リズムで、
旋律も躍動的。伝わっていく過程で変化、再創造される。
・「かがりまり」は蘇鉄綿の芯であまりはずまないので、ひざをついてトントンとまりを速くつき、
何十番と続くかぞえ歌や、物語風の長い歌が多い。
・♪たけのこ一本おくれ;東京~関西~奄美大島。引き抜かれる子の腹にしがみつき守る。あそびへの熱中。
・短く親しみやすい旋律。無意識のうちに調子のよいリズムパターンを作り出し、
日本語の語感と音感覚の結びつきを体験。民俗音楽の原点といえる。
3.琉球弧各地のわらべうたより;『大観』中の奄美88曲、沖縄本島64曲、宮古島59曲、八重山28曲、計219曲の中から、30曲ほど資料配付。
<奄美>
70.すれすすれ(お手玉) 1982 伊仙町目手久
71.木綿じゃらじゃら(かごめ) 1982 伊仙町目手久、1986 宇検村生勝
66.ちぃんがいがーい 1982 伊仙町目手久;二人づつ手を結んで並び、その上に子ども をのせて揺らせ、
最後に前へ送り出す。本土では♪鯉の滝登りとも。
74.手合(お)さ合さ(セッセッセ) 1982徳之島町亀徳・目手久 (♪どんどん節のフシで)
192.ほこらしゃ 1982笠利1区VHS/しゅんかねくゎ 1984 笠利町用 VHS
*旧正月の子どもの行事で、集まってお手合わせをしてあそんだ。研究会では用出身者により
しゅんかねくゎの歌も披露された。こうしたお手合わせあそびは、大島の節田まんかい、
徳之島のキョーダラ・まんきあしびなど大人の手あそび芸能の系譜と結びつく。
<わらび(童)ユングトゥ>
ユングトゥとは「誦(よ)み言(ごと)」「詠(よ)み言(ごと)」、つまり声に出してよまれ、うたわれた言葉であり、神口・となえごと・呪言・ことわざから、独り言・独り狂言・駄々こねまで広い意味で用いられる。名瀬市根瀬部(ねせぶ)の恵原(えばら)義盛氏は、こどもが口ずさむユングトゥとして、約100種を報告(『南島歌謡大成』)。動植物・自然現象への「呼びかけ歌」からあそびのための「遊戯歌」までを含み、「わらびユングトゥ」と総称される。その中から;
60.もっこもっこ(畚);二人手をつなぎ、背中合わせになったり戻ったり。
56.一人(ちゆり)二人(たり) 亀の子(かめんこ)
57.與一郎 嘉一郎
55.石廻(む)し 空廻(なーむ)し
*以上3曲はずいずいずっころばし
59.いしょろばんさ(シーソー)こばんさ;シーソーあそび
<竹富>
竹富小学校の子どもたちのわらべ歌あそび 2001TBS
11.雨雨(あみあみ)ふぁーふぁー(食べよう);雨が止んでほしい、と雨を手に取って食べつつ歌う。
8.牛の脚(ぱん)それそれ;鬼決め。足を投げ出し、うたいながらさしてゆき、終わりに当たった足をひっこめてゆく。
10.大指っ子(ふーゆべまー);指あそび。人さし指は3本の手の中指、薬指は簪を差す指とうたわれる。
7.うしぬまできんどっせ(牛の真似だぞ);一人の子どもの両手両足を二人で持ってぶらさげ、
左右に揺すり(こうもり状に)、地面にほうり出す。大変ワイルドなあそび。
<沖縄>
・徳利(とぅつくい)小(ぐゎ) 3人組。二人が手をつないだ中に一人入り、壺屋の窯からとっくりが焼きあがって
出てくるさまを演じる。この真ん中の人が次々と交代する。
以上、「よく学び、よく遊べ」「勉強と遊びを区別するな」「自分もやってみよ」という故小泉文夫先生の教えを実践した、楽しい会でした。 (文責 酒井)
2014.07.09 第三回;琉球弧のわらべうた (講師;赤羽由規子先生)
*東京芸大民族音楽ゼミナール(通称民ゼミ)最古参の赤羽由規子先生をお招きしての
ワークショップ。赤羽先生は明治大学・放送大学等講師、『日本民謡大観(沖縄奄美)』全4巻の
”わらべうた””子守唄”の編集・執筆を担当されたベテラン中のベテラン。
『日本民謡大観』は、現地収録の音源をもとに採譜、歌詞を聞き取り、収録日時、場所、演唱者を
明記して解説を付した、画期的な資料集です。
1.日本の民俗(族)音楽学の幕開けは、わらべうた研究から
1960年 小泉文夫、東京芸術大学音楽学部楽理科に赴任、わらべ歌調査に着手。ゼミの学生たちに「テレコを持って街に出よう」のすすめ。あそんでいる子どもたちをみつけて、その歌を録音する課題。翌年より、東京の小学校100校調査、雑誌にコラムを掲載。
その原稿料を元手に、63年、沖縄の民俗音楽調査開始。
1969年 東京の小学校調査をもとに、『わらべうたの研究』出版
1972年 沖縄の日本復帰、翌年より沖縄全域へ本格的な現地調査。「採譜集」(国頭篇、宮 古篇、八重山篇)を順次作成
1980年 日本放送協会、『日本民謡大観 沖縄奄美篇』の制作を外間・小泉両氏に依頼。 奄美が是非必要、という外間氏の助言により、急遽奄美全域の調査に着手
1983年 小泉文夫急逝(56才!) 遺志を継ぎ、調査・出版を継続
1989年 『日本民謡大観(沖縄・奄美)八重山諸島篇』、90年『同宮古諸島篇』、91年『同沖縄諸島篇』、93年『同奄美諸島篇』刊行
2.わらべうたの様相
・63年沖縄島;♪予科練の歌(軍歌)でゴム跳び。借用が多く、本土とレパートリーはさして変わらない。
→そこで中高年の人たちに、かつて子どもだった頃のあそび歌を尋ね、琉球弧独自の歌を探ることにした。
・♪飛行機の、宙返り(まりつき歌);東京に1例しかない歌が那覇でうたわれ、沖縄では付点リズムで、
旋律も躍動的。伝わっていく過程で変化、再創造される。
・「かがりまり」は蘇鉄綿の芯であまりはずまないので、ひざをついてトントンとまりを速くつき、
何十番と続くかぞえ歌や、物語風の長い歌が多い。
・♪たけのこ一本おくれ;東京~関西~奄美大島。引き抜かれる子の腹にしがみつき守る。あそびへの熱中。
・短く親しみやすい旋律。無意識のうちに調子のよいリズムパターンを作り出し、
日本語の語感と音感覚の結びつきを体験。民俗音楽の原点といえる。
3.琉球弧各地のわらべうたより;『大観』中の奄美88曲、沖縄本島64曲、宮古島59曲、八重山28曲、計219曲の中から、30曲ほど資料配付。
<奄美>
70.すれすすれ(お手玉) 1982 伊仙町目手久
71.木綿じゃらじゃら(かごめ) 1982 伊仙町目手久、1986 宇検村生勝
66.ちぃんがいがーい 1982 伊仙町目手久;二人づつ手を結んで並び、その上に子ども をのせて揺らせ、
最後に前へ送り出す。本土では♪鯉の滝登りとも。
74.手合(お)さ合さ(セッセッセ) 1982徳之島町亀徳・目手久 (♪どんどん節のフシで)
192.ほこらしゃ 1982笠利1区VHS/しゅんかねくゎ 1984 笠利町用 VHS
*旧正月の子どもの行事で、集まってお手合わせをしてあそんだ。研究会では用出身者により
しゅんかねくゎの歌も披露された。こうしたお手合わせあそびは、大島の節田まんかい、
徳之島のキョーダラ・まんきあしびなど大人の手あそび芸能の系譜と結びつく。
<わらび(童)ユングトゥ>
ユングトゥとは「誦(よ)み言(ごと)」「詠(よ)み言(ごと)」、つまり声に出してよまれ、うたわれた言葉であり、神口・となえごと・呪言・ことわざから、独り言・独り狂言・駄々こねまで広い意味で用いられる。名瀬市根瀬部(ねせぶ)の恵原(えばら)義盛氏は、こどもが口ずさむユングトゥとして、約100種を報告(『南島歌謡大成』)。動植物・自然現象への「呼びかけ歌」からあそびのための「遊戯歌」までを含み、「わらびユングトゥ」と総称される。その中から;
60.もっこもっこ(畚);二人手をつなぎ、背中合わせになったり戻ったり。
56.一人(ちゆり)二人(たり) 亀の子(かめんこ)
57.與一郎 嘉一郎
55.石廻(む)し 空廻(なーむ)し
*以上3曲はずいずいずっころばし
59.いしょろばんさ(シーソー)こばんさ;シーソーあそび
<竹富>
竹富小学校の子どもたちのわらべ歌あそび 2001TBS
11.雨雨(あみあみ)ふぁーふぁー(食べよう);雨が止んでほしい、と雨を手に取って食べつつ歌う。
8.牛の脚(ぱん)それそれ;鬼決め。足を投げ出し、うたいながらさしてゆき、終わりに当たった足をひっこめてゆく。
10.大指っ子(ふーゆべまー);指あそび。人さし指は3本の手の中指、薬指は簪を差す指とうたわれる。
7.うしぬまできんどっせ(牛の真似だぞ);一人の子どもの両手両足を二人で持ってぶらさげ、
左右に揺すり(こうもり状に)、地面にほうり出す。大変ワイルドなあそび。
<沖縄>
・徳利(とぅつくい)小(ぐゎ) 3人組。二人が手をつないだ中に一人入り、壺屋の窯からとっくりが焼きあがって
出てくるさまを演じる。この真ん中の人が次々と交代する。
以上、「よく学び、よく遊べ」「勉強と遊びを区別するな」「自分もやってみよ」という故小泉文夫先生の教えを実践した、楽しい会でした。 (文責 酒井)
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